どんな言葉も、
発している人が持つエネルギーだったり、「スタンス」で大きく意味は変わると私は思う。
私自身、いいのか悪いのか、実体験・体感したことからしか話せない。
人生は、なんだかんだ「どうにかなること」は、もう自分の今までの経験の積み重ねから100%わかっている。
そして、その言葉の根拠は、
自分で考え選択し決断し、自ら動いてきて、その結果で今があるから。
現実に、今、ちゃんと「どうにかなっている」。
だけど、もう一つ、別の意味での「どうにかなる」がある。
自分の問題を他者に委ねたり、初めから他力本願で生きてきた人が言う「どうにかなる。」
ようは、「決断」を自分以外に委ねてしまう丸投げとか、
自ら行動せずに誰かが動いてくれるのを待つ依存ありきの人が、誰かに「どうにかしてもらってきた」こと。
これは、本来の意味での「どうにかなる」とは全く別物。
表面は一緒でも、スタンスがまったく違ってくる。
今の私があるのは、自分だけの力だなんて到底思わない。
たくさんの人に支えられ救われてきた。
それは、自分で自分を救う・守る・愛する覚悟を決めて動いていくと、必ず、他者の助けや救いが現れる。
だから、決めて動くのは「自分」。
自分のハンドルを握るのは、自分しかいないという覚悟を持っていること。
そして、その後押しで助けてくれる誰かが現れたら、ありがたく力を借りればいい。
それが、本当の意味での
「どうにかなる精神」じゃないかなと私は感じています。