そう思えたら、とても心が満たされていきませんか。
私は札幌で自営をしているとき、ありがたいことに、日々お客さまが来てくれて、
予約はすぐに埋まり、十分稼げていました。
しかし、どんなにどんなに稼いでも、「もっと稼がなきゃ」「まだ足りない」と思っていたし、
口座の残高が十分で支払いもちゃんとできているのに、引き落としがあるたびに
「また減ってしまった」「来月お客さまが来なかったらどうしよう」という恐怖や不安感が常にありました。
これは、今思えば、「不足感」やお金を使うことへの「罪悪感」からくるものでした。
「持っていないと価値がない」という価値観が自分の中に深く刷り込まれていました。
何かをしていない自分には「価値がない」という想い。
今思えば、
この価値観を捨て、「何かをしていなくても、何者でもない私に価値がある」という証明&体験をしたくて、すべてを捨てて福岡に移住した気がします。
移住は、周りからすると突然のように思っただろうし、すごく行動的にも見えたはず。
だけど、私の中では、当時は言葉ではうまく言い表すことができなくても、何かこのままでは自分が自分でいられなくなるような、息ができなくなるような、限界のような、もう「道をシフトするときなんだ」と感覚的に感じていたことを覚えています。
福岡で誰1人知り合いがいないなか、
毎日、海を見て、散歩して、時には離島に旅したり。その中での行動から、自己成長につながったことを3つ挙げていきます。
①自然を感じ、浄化する
自然の中に身を浸して自然の豊かさを感じることで、自分は生かされている感覚となり、体と心の浄化になりました。
そして、
②「ない」から「ある」へシフトする
身の回りのすでに在るもの、自分自身の中にすでに在るものに目を向けられるようになり、その「在ること」への感謝ができるようになりました。
そう、「無い」と「有る(在る)」は表裏一体で、どちらにスポットを当てているかの違いだったということ。
数年前の私は、ないほうからしか見ていなかったと気づけたことが、最大の学び。
そして、そのことが、
③すべてに意味があると捉え直す
私の過去の失敗体験や、自分自身が不幸だと感じていたこと(ネガティブな気持ちを発動させているもの)は、すべて気づきのため、学びのため、成長のために必要だったことなんだ。
そう捉えられるようになったとき、「すべて意味のあるものだった」と実感でき、腑に落ちる感覚、肚落ちできたのです。
すると、表と裏がひっくりかえるように、現実が変わります。
実際に、福岡で出会った人は、私が札幌で自営業をしていたことを知りません。(私が話してないから当たり前ですが)
だけど、〇〇をやっているかえさん。〇〇を持っているかえさん。
といった「〇〇」が付かなくても、
ありのままの、今の目の前の私を見てくれている、フィルターがない状態で見てもらえることは、私にとってはとても自由な感覚を味わえ、貴重で大きな体験でした。
「どんな私も、私は私のままでいい」と確信できたことの連続でした。
そして、それはとても居心地がよく、自分を全肯定できる感覚。
そう、実はこの世界は、もともと愛と豊かさで満たされていたんだ。
このことを味わいたくて、今までの選択があったんだと。
何を映し出すかは、自分で決めている。だったら、愛と豊かさで満たされた世界を映し出していこう。
そう決めると、
自然と関わった人や、起きた体験に感謝が生まれ、そう思える自分を愛でることができ、とても温かで満たされた感覚を味わえました。
表裏一体のこの世界、何を選択するか、何を映し出すかは、本当に自分次第。
そして、世界はいつからでも変えられる。