スピリチュアル的視点

「どうにかなる」という一見、前向きな言葉の落とし穴。

どんな言葉も、

発している人が持つエネルギーだったり、「スタンス」で大きく意味は変わると私は思う。

私自身、いいのか悪いのか、実体験・体感したことからしか話せない。

人生は、なんだかんだ「どうにかなること」は、もう自分の今までの経験の積み重ねから100%わかっている。

そして、その言葉の根拠は、

自分で考え選択し決断し、自ら動いてきて、その結果で今があるから。

現実に、今、ちゃんと「どうにかなっている」。

だけど、もう一つ、別の意味での「どうにかなる」がある。

自分の問題を他者に委ねたり、初めから他力本願で生きてきた人が言う「どうにかなる。」

ようは、「決断」を自分以外に委ねてしまう丸投げとか、

自ら行動せずに誰かが動いてくれるのを待つ依存ありきの人が、誰かに「どうにかしてもらってきた」こと。

これは、本来の意味での「どうにかなる」とは全く別物。

表面は一緒でも、スタンスがまったく違ってくる。

今の私があるのは、自分だけの力だなんて到底思わない。

たくさんの人に支えられ救われてきた。

それは、自分で自分を救う・守る・愛する覚悟を決めて動いていくと、必ず、他者の助けや救いが現れる。

だから、決めて動くのは「自分」。

自分のハンドルを握るのは、自分しかいないという覚悟を持っていること。

そして、その後押しで助けてくれる誰かが現れたら、ありがたく力を借りればいい。

それが、本当の意味での

「どうにかなる精神」じゃないかなと私は感じています。

関連記事

  1. 報復や復讐のエネルギーは使わない。自分を救うための健全なエネルギーの使…

  2. 自分で自分を否定すると、他者から批判されるようなことが起こる。

  3. この3次元の地球で生きている以上、思いだけでは生きていけない。

  4. 「嫌なこと」でも「必要なこと」なら楽しむ工夫を。

  5. 等身大の自分であれ。

  6. 世界は豊かさに満ち溢れている。

  7. 「ちゃんと」をやめてみる。

  8. このPMC=パーソナルミッションコンサルタントの原点になった、過去の私…